令和5年度沖縄県移住コーディネーター(会計年度任用職員)を募集

沖縄県へ移住を検討している方々への相談対応や沖縄県の移住応援サイト「おきなわ島ぐらし」などを活用した情報発信、県移住受入協議会や県外での移住相談会等の運営・サポートなどを行う移住コーディネーター(会計年度任用職員)となる方を募集します。

募集概要

(1)雇用期間:令和5年4月1日(予定)~令和6年3月31日

(2)採用人数:1名

(3)求人受付期間:令和5年1月16日(月曜日)~2月3日(金曜日)17時まで必着

詳細は、沖縄県企画部地域・離島課の該当ホームページをご確認下さい。

先輩移住者インタビュー:大宜味村の特産品を世界へ届けるローカルフードクリエイター 池中尚子さん【後編】

 

地域の力になりたい!と始めたシークヮーサーでの商品づくり、そしてこれからも広げていきたい地域との繋がり

そこから今メインで作っているシークヮーサーバターづくりに行くまでには、また少しストーリーがあるんです。前述した山の中で暮らしていた時の家も自分で作っていたのですが、その家を作っている期間、カフェがじまんろーに通っていまして、朝は作業、昼はカフェでゆっくりするという生活を、週3くらいでやっていたので、お店の方とも仲良くなり、いつの間にかお店を手伝うようになったんです。お店で三線を習ったり、家がまだ完成していなかったので、ご自宅のお風呂を貸してくれたりと、まさに家族のように助けてくれました。

そんな中で、シークヮーサーが取れすぎて値段が暴落した時があって、農家さんが大ピンチになったんです。がじまんろーさんもシークヮーサーを栽培しているのですごく困ってしまっていて、自分もお世話になっているので少しでも貢献しようと思い、シークワーサーを丸ごと使ったジャムをつくろうと思い立って、製造許可をとりました。確か2016年くらいだったと思います。最初は小規模に始めて、規模を拡大する中で、旧道の駅の加工場を利用させてもらうようになりました。

シークヮーサーの木々の木漏れ日を浴びながら

皮までまるごと入れたシークヮーサージャムから、シークヮーサーバターに変えた一番の理由は、果汁をたっぷり使って、自分が好きなレモンカードのようなものをつくりたかったからです。自分でレシピを考えて作ったら、これが美味しくて!

最初に売っていたのは知り合いや村内のお店だけでしたが、シェフをしているパートナーが「美味しいんだから、もっといろんなところに置いたら?」と言ってくれて、まずは自分が働いているお店で置いてもらったところ、かなりのペースで売れたんです。これは売れる、だからちゃんと「商品」にしなければ!と思って、ラベルも作り直し、県内各所に営業するようになりました。当初は県内各道の駅に営業をかけ、南部まで自分で届けていたりもしました。沖縄中の様々なお店で置いていただいた事で、評判を聞いて、今では県内の高級ホテルさんにも置いていただいています。

カラキという、シナモンのような沖縄在来の植物を使った商品も作っていますが、次の展開も考えていまして、今度はシークヮーサーの皮を利用して、精油とフローラルウォーターを使った新しいプロダクトを作ろうと思っています。

今は個人で生産をしていて、繁忙期だけ友人や加工に興味ある方にお手伝いをお願いしているんですが、食材が豊富な地域なので、地域の人も加工品づくりに興味がある人が多くて、出来ればそういう方たちと一緒に、自分の商品だけじゃなくて、地域の食材を活かした商品展開なども行っていきたいですね。私自身に、「この地域をこうしたい!」という強い思いがあるわけではないんですが、少しでも地域の役に立てばいいなと思っています。

移住して驚いたこと、困ったこと

一度も沖縄から出ようと思ったことはありません。移住してから本当にいろんなことをやってきたので、東京で貯めてきたお金は一旦ゼロになってしまいましたが、そこからが面白かった。今は自分のやりたかったことが出来ているなあと実感します。

多分不便を不便と感じていないんでしょうね。お湯をかまどで沸かして行水していた時期も、楽しいなーって思えていました。キャンプ的な捉え方だったんだと思います。ただ1度だけ怖いと思ったことはありました。山の上に一人で住んでいた時、トイレが屋外だったので、夜でも一回外に出ないといけないんです。そんな時に暗闇でイノシシに吠えられたんです。このときはさすがに、一人で生きていくのは無理だと思いました(笑)

北中城に住んでいた時も大家さんにかわいがってもらい、模合(※)に誘ってもらったりしていて、常に人と繋がり続けているという感覚があるので、寂しいと思うことはほとんどなかったですね。

生まれ育った土地にはほとんど地域行事が無く、そういう行事に以前から興味があったので積極的に参加していきました。沖縄の家族の関係性の近さが新鮮で、入り込むのが好きだったんでしょうね。

今も地域の常会には参加したり、共同売店でおじいたちと飲んだりしています。大宜味村の根路銘に住んでいた頃は豊年祭の踊りも参加していました。自分から積極的に地域に入ることで、受け入れられていったのではないかと思っています。

※模合:沖縄で広く実施されている、相互扶助システムで、グループで毎回いくらか一定のお金を出し合い、メンバーがそのお金を一人ずつ順番に受け取っていく。沖縄以外では無尽(講)、頼母子講などと言われるようなもの。

移住して良かった点

なんといっても、自然がそばにある暮らしですね。昨日もシュノーケリングをしましたが、普通にウミガメに会えちゃうんです。私としては、もうそれだけで心地よい暮らしが出来ている感覚があって、海や山で自分をリセットできているんです。

大宜味村の海

 

シークヮーサーバター等を販売する、池中さんのブランド

nun okinawa

https://nunokinawa.theshop.jp/

 

おきなわ島ぐらし|大宜味村移住情報

先輩移住者インタビュー:大宜味村の特産品を世界へ届けるローカルフードクリエイター 池中尚子さん【前編】

千葉県出身の池中さんは、現在大宜味村でローカルフードクリエイターとして『nun okinawa』という屋号で活動し、ご自身で生産・販売されているシークヮーサーバターは県内外で大人気商品となっています。ただそこに至るまでには、沖縄との出会い、東京での華やかな生活との決別、大宜味という地域との偶然の出会い、そして地域の方々と強い繋がりが出来るまで、と様々なプロセスがありました。

何度も訪れる転機を池中さんがどのように掴み、新しい展開をされていったのか、じっくりお話を伺ってきました。

 

先輩移住者プロフィール

名前:池中尚子(いけなか なおこ)さん
職業:ローカルフードクリエイター/nun okinawa
出身地:千葉県
移住年:2011年
移住地:大宜味村
家族構成:パートナーと猫4匹

 

大好きだった都心での生活、でも1週間の沖縄トリップで感じた、「私がいるべき場所」という感覚

生まれは愛知県ですが、子どもの頃に千葉に引っ越して、それ以来ずっと千葉に住んでいました。

沖縄に初めて旅行で来たのは、19歳の時です。当時は学生だったのですが、たまたま遊びに行った北谷のお店の人から、「寮もあるから働かないか」と誘われて、その時にちょっと本気で移住も考えたんです。でもまだ若かったこともあって決断できず、実現しませんでした。

ただその時の旅行で海の青さに衝撃を受けて沖縄が好きになり、そのあとも毎年のように遊びには来ていましたね。結局それが沖縄移住に繋がっているのかもしれません。

学校を卒業後、雑誌の編集部で2年間働いた後、アパレル業界に転身して高級ブランドも取り扱うショップでも働いていました。店舗運営のマネージャー職が長かったですね。内容は店舗のレイアウト作りからスタッフ育成、顧客管理、シーズンの企画など、本当にお店に関すること全部、という感じです。新宿の百貨店や、青山の路面店、ファッションビルなど、いろいろな店舗に勤務していて、アパレル業界には結局14年くらいいました。非常にやりがいのあるお仕事だったのですが、少しずつ自分の中でライフスタイルにずれを感じるようになっていきました。

というのも、社会人になってから、海が好きになって、サーフィンを始めるようになったんです。ラグジュアリーなものに囲まれる生活もそれはそれで好きだったんですが、海に通うようになってくると、あんまりモノに固執する感覚が薄れていったんです。

そんな時、友人が沖縄にサーフトリップをしに行くというので、連れて行ってもらったんです。1週間かけて、朝4時くらいからサーフポイントを巡ったり、1日ビーチでゆったりしたり、昼は市場で買ったマンゴーを食べて、夜は仲間と楽器を鳴らして歌って、という生活をしていたのですが、その時の仲間が皆、エネルギーにあふれているように感じたんです。 サーフトリップが終わって千葉に帰ってきて、翌朝自分の部屋で目が覚めたら、「なんでここにいるんだろう」という違和感を強く覚えてしまって、沖縄に移住したい!と強く思うようになりました。東京での仕事や同僚も大好きだったんですが、知らない間にストレスが溜まっていたんでしょうね。それが2008年くらいのことでした。

 

移住までに必要だった3年という期間、そして「食」で繋がる移住後の生活

そこから移住までに3年くらいかかっているんですが、その間に自分の身辺を整理しました。アパレルにいると、どうしても家の中には服やらバッグやら、モノが溢れてしまいました。それらと決別するために、売ったり譲渡したりして、この身一つで移住できるように身軽にしていった、という感じです。

また、会社には移住を考えていることを早めに伝え、後任への引継ぎも含めて、すり合わせを丁寧に行ったので、とっても円満に退職することが出来ました。家族の事情もあって、当初の予定よりも長い3年という時間がかかってはしまいましたが、私にとっては必要な期間だったなと、今でも思います。

あと、移住までの3年の間にもよく沖縄に来ていたので、友達も出来ていて、移住しやすい環境が整えられたというのも大きかったかな。

ちなみに移住をすることについては家族からの反対は特にありませんでした。私がしょっちゅう沖縄に行っていて、大好きなのも分かっているので、快く送り出してくれました。

移住する前からパンを焼くことにはまっていて、千葉に住んでいるのに月1回鎌倉のパン教室に通ったりしていて、移住後もパン屋で修行をしたい!と思っていたんです。昔から食への興味が強くって、特にみんなで食べる場の空気感が好きだったんですよね。

そうしたら、パン教室の先生のご紹介で、北中城のパン屋さんで働けることになったので、最初はパン屋として移住しました。本当は読谷に住んでそこから通いたかったんですが、家が探しきれなくて、北中城のお店の近くに住むことになりました。

そのパン屋さんではカフェも併設していたので、最初はパンを焼いていたんですが、そのあとにキッチンやフロアも担当しました。そこでは2年間ほど働いたでしょうか。

パン屋で働きながら、近くに住む友人がローフードの食材をネット販売しており、スムージー店もオープンしていたので、そのお店も手伝うようになっていきました。 そのあとも別の知り合いがお店をオープンするのを手伝ったりする中で、自分自身でもお店をやってみたいという思いが芽生え、パン屋さんで働きつつ、自分でも独自にパンを販売するようになっていきました。単に販売するだけじゃなくて、ローフードや味噌づくりのワークショップも開きました。当時は2011年というタイミングもあって、食に対する興味関心の高い人も沖縄に多く移住するようになっていたので、人も情報も集まりやすく、イベントはしやすかったです。私も色んなイベントに積極的に参加していって、知り合いを増やしていっていました。

大宜味村の山々の向こうに臨む海 

沖縄での拠点を求める中で出会い、惹かれ、住み続ける「大宜味」という土地

移住直後は本当に色々と動き回っていましたね。自分自身のイベントだけじゃなくて、震災後、被災地の子どもたちの心のケアを目的とした保養キャンプが全国でよく開かれていたので、ボランティアで食事を作りに行くこともしていて、県内外を飛び回っていたんです。その中で、沖縄に「身軽に動き回れる拠点」が欲しい、という思いが強くなってきたんです。自分がいつでも帰って来られる、必要最低限の物だけが置ける、ミニマルなライフスタイルの場所を何とか確保したい、という思いですかね。そんな時、大宜味村在住の知人から「うちの庭に家を建てていいよ」と言われたので、小さな小屋のようなものを建てたのが、大宜味村に住むようになったきっかけでした。

その当時は、地域の様々な人に来てもらえる場所になればいいと思っていましたが、色々あって2年後にその場所を離れることになりました。ですが大宜味という土地の魅力に惹かれていたので、村内で引越しすることを決めました

大宜味村は借りられる家が無い、とよく言われるのですが、「家が無くて困っている」と知り合いに相談をしていったら、皆さん結構助けてくれるんですよね。それで、結局村内で5回くらい引っ越ししています。

大宜味に移住してからのお仕事として、加工品づくりも始めるようになりました。 最初のきっかけは、大宜味の山の上に住んでいた時に、人手不足の近所の農家さんやお店にヘルプに入っていたことでした。ある有機栽培農家さんのトマトづくりを手伝っていた時、規格外品がとっても多く発生するということを知ったんです。破棄しなければならない量が多くて勿体ないなと思っていたところ、雑談的に農家さんから「池中さん、これで何か作ったら?」と言われて、今までの経験も活きるので何か加工品をつくろうと思うようになりました。その時から、大量に作るのではなく、自分のできる範囲で少しずつ、道の駅にちょっと置いてもらって販売していく、ということをやっていましたね。

 

おきなわ島ぐらし|大宜味村移住情報

沖縄で働こう!|保育士・介護士・福祉分野のお仕事情報(1月更新)- セラピスト、料理員、事務職等求人も

(写真は久米島の景色)

沖縄県福祉人材研修センターより、福祉分野の求人情報をお知らせ致します。

 

ピックアップ

久米島町の求人:介護職、介護支援専門員、保育士、調理員の職種

石垣市の求人:相談・支援・指導員、看護職の募集

北中城村の求人:セラピストを募集

  

具体的な求人情報リストは、 以下のリンクからご覧ください。

求人情報リスト 2023年1月 PDF

記載の求人についてのお問合せは、下記センターまでお問合せくださいませ。
福祉のお仕事の無料紹介を行っております。

■お問合せ先

中南部・宮古・八重山の求人に関する問い合わせ先
沖縄県福祉人材研修センター
TEL: 098-882-5703 / FAX: 098-886-8474
E-mail: jinzai@okishakyo.or.jp

名護市福祉人材バンク
TEL: 0980-53-4142 / FAX: 0980-53-6042
E-mail:  nago-jinzai@welfare.city.nago.okinawa.jp

窓口開設時間
月曜日から金曜日まで(祝祭日、年末年始、職場面接会を除く)
午前9時~午後5時まで

八重瀬町|令和5年度地域おこし協力隊の募集について

(写真は、八重瀬桜まつりの様子)

沖縄本島南部に位置する八重瀬町で、観光物産協会に関わる地域おこし協力隊を2名募集しています。

募集職種および募集人数

・八重瀬町観光物産協会における事業の企画及び運営業務 2 名 

活動内容 

(1)観光関連事業の企画・立案・実施
(2)八重瀬町の魅力を伝える情報発信
(3)スポーツキャンプの誘致
(4)町産品の販路拡大、ふるさと納税に関する事業者支援

募集期間及び採用予定日

・募集期限:令和5年1月27日(金)

※詳しくは該当ホームページをご確認ください。


・雇用期間 : 令和5年4月~令和6年3月31日

※最長3年まで延長可能(1年毎に双方協議のうえ決定します)

 

詳細および申し込み方法については村の該当ホームページをご覧ください。

お問い合わせ先

八重瀬町役場 総務部 企画財政課

TEL:098-998-2668
E-Mail:kikaku@town.yaese.lg.jp


おきなわ島ぐらし関連ページ

八重瀬町移住情報

移住フェア情報|令和5年2月12日(日)開催!九州・山口合同移住相談会in大阪に、沖縄県と4市町村が参加します

[2023.02.06]更新情報:与那国町は都合により不参加となりました。

九州・山口・沖縄の9県で構成する九州・山口合同移住相談会実行委員会(事務局:佐賀県)では、この度、大阪府を中心とした近畿地方からの移住を促進するため、9県合同による「九州・山口合同移住相談会」を2月12日(日)に開催します。

沖縄県からは、県、石垣市、国頭村、久米島町、伊是名村がブース出展し、移住相談を承ります。参加無料、予約不要です。この機会にぜひ、ご来場ください!

 

 
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イベント概要

開催日時
令和5年2月12日(日)11:00~16:00

開催場所
難波御堂筋ホール・ホール7(大阪府大阪市中央区難波4-2-1)

県内ブース出展団体
沖縄県、石垣市、国頭村、久米島町、伊是名村

お問合せ先
主催:九州・山口合同移住相談会実行委員会(事務局:佐賀県さが創生推進課移住支援室内)

TEL:0952-25-7393
E-mail:sagaiju@pref.saga.lg.jp

<初参加>東京出張相談会に沖縄の離島・伊江島が参加します―1月22日(日)有楽町

1月22日(日)に、伊江村(いえそん)の移住コーディネーターが、東京へ行って移住相談を承ります!これまでオンラインで移住相談や「子育て」「農業」などテーマを絞った移住体験ツアーを積極的に行ってきましたが、東京での対面相談は初参加となります。この機会にぜひ、専任の移住担当者と会って直接お話ください。

村がある伊江島はこんなところ

沖縄本島北部の本部港からフェリーで約30分、集落とサトウキビなどの畑が広がる中に、特徴的な山「伊江島城山(タッチュー)」がそびえています。

伊江島外観
伊江島外観

住民は約4400人、多くの方が農業漁業をして暮らしており、高級和牛や黒糖を絡めたピーナッツ菓子、サトウキビを使ったラム酒などの名産品も多数生まれています。また、本島から日帰り可能な観光地としても人気で、マラソン大会やゆり祭りなどのイベントも1年間を通して開催されています。

伊江村ゆり

どんな人が伊江島に移住してきているの?

伊江村では、移住者さんインタビューでその方の島ぐらしや経験談をご紹介しています。

農家さんでのアルバイトをきっかけに本格的に農業を始めた方

小さいお子さんを連れて島移住し、あたたかい自然と地域の中で子育てを楽しんでいるご家族

島に観光で訪れて、思わぬきっかけから家を紹介してもらって移住してきたご夫婦

ここに注目!伊江村の移住取組

ご興味がありましたら、ぜひ1月の相談会で担当者に直接お問い合わせくださいませ。

・伊江村移住相談窓口

専任の移住コーディネーターが、丁寧なヒアリングの上、相談者さんのやりたいことが島で実現できそうかどうか、地域の習慣や生活とマッチしそうか、移住前に検討できるようご相談を承ります。

・移住体験プログラム

小さな島で生活する上で大切になってくる“島民との関わり“を、移住前から体験し、具体的に移住を検討できるプログラムです。体験滞在中、多くの島民を訪問し、交流を通じて、コミュニケーションの大切さや島民同士の距離感を肌で感じて頂くことができます。また、あなたの移住を応援してくれる方や、移住後に関わり、お世話になる仲間や先輩方と出会うこともできるかもしれません。

伊江村移住コーディネーターに直接会える!1月開催相談会のご案内

1月22日(日)
「島ぐらしのリアルをお届け!沖縄移住セミナー&相談会」 (東京・有楽町)

主催:沖縄県
開催日時:2023年1月22日(日)17:00~19:30
場所:ふるさと回帰支援センター セミナールームB
住所:東京都千代田区有楽町2丁目10−1 東京交通会館8F
参加費:無料
※参加市町村・団体は沖縄県、久米島町、伊江村、りっか沖縄(就職相談)です。

<事前予約制> ご予約・詳細はこちらから

2023年1月開催イベント

沖縄の島移住で注目の!久米島のご紹介―1月21日(土)渋谷、1月22日(日)有楽町で相談会あり

年始の1月に、久米島町の移住相談員「島ぐらしコンシェルジュ(略して島コン)」が、東京へ行って移住相談を承ります!沖縄の島々でも、早くから移住取組をスタートさせた久米島町。これまでに起業や子育て、観光や漁業への就職など、多くの移住者さんがそれぞれの夢を叶えに移住してきています。この機会にぜひ、島の暮らしやお仕事、希望する移住スタイルと合うかどうか・・・など、直接担当者と会ってお話いただけたらと思います。

久米島はこんなところ

沖縄本島から約30分の飛行機で行くことができ、東洋一美しいと言われる砂洲「ハテの浜」や日本一の生産を誇る「車エビ」、天然記念物の「クメジマボタル」、紬の発祥とされている「久米島紬」など自然と文化が調和する離島です。約7400人の住民が暮らし、大型のリゾート施設や贅沢品はありませんが、食品雑貨、医療、学校など生活に必要なものは一通り揃う中規模離島です。

ここに注目!久米島町移住取組

ご覧になりご興味がありましたら、ぜひ1月の相談会で島コンに直接お問い合わせくださいませ。

島ぐらしコンシェルジュの設置

久米島町が設置している移住定住のワンストップ相談窓口。住まい・仕事・子育てなど様々なことをお気軽に相談いただけます。

島コン(中央二人)と、空き家・空き地活用相談員さん(左)、町職員さん(右)と。

オーダーメイド型移住体験サポート

移住検討者の方を対象に、島内で暮らすイメージを持って頂くため、暮らしに係る施設の見学や地元の方に会う機会などを島コンがサポートします。(2023年2月以降実施もご予約受付中とのことです。※2022年12月時点情報)

求人情報多数!保育士移住者には補助金も

島外からでは中々見つけづらい仕事情報も、島コンの運営する移住サイトで多数ご覧いただけます。また、正社員や企業求人、漁業からIT、化粧品開発など様々な事業所の求人があるのも特徴的です。また、町では保育士移住をされた方に移動費や生活準備のための補助をしています。

移住者が集う「みーしまんちゅの会」

移住後の住民交流の場として、茶話会を定期的に開催しています。移住後のちょっとした疑問や質問を投げかけたり、またやりたいこと、つながりたい人を見つけるためのヒントなども得られる場となっています。

島コンに直接会える!1月開催相談会のご案内

1月21日(土)

「久米島町出張移住相談会 in 東京」(渋谷)

・主催:久米島町
・日時:2023年1月21日(土)11:00~16:00 ※45分×5枠
・場所:FEEEP(フィープ)渋谷駅前ビル店
・住所:東京都渋谷区道玄坂2-3-1 渋谷駅前ビルB1F
・参加費:無料
※参加市町村は久米島町のみです。
<事前予約制>


1月22日(日)

「島ぐらしのリアルをお届け!沖縄移住セミナー&相談会」(東京・有楽町)

・主催:沖縄県
・開催日時:2023年1月22日(日)17:00~19:30
・場所:ふるさと回帰支援センター セミナールームB
・住所:東京都千代田区有楽町2丁目10−1 東京交通会館8F
・参加費:無料
※参加市町村・団体は沖縄県、久米島町、伊江村、りっか沖縄(就職相談)です。
<事前予約制>

2023年1月開催イベント

先輩移住者インタビュー:沖縄に住みたい!子どものころからの夢を叶えるため、移住ツアー・ワーキングホリデーを経てやんばるへ 西野ひかるさん【後編】

石川県出身の西野さんは、子どもの頃の沖縄旅行で沖縄の魅力にひきこまれ、そこから移住を夢見るようになります。移住体験ツアーやワーキングホリデーを通じて、沖縄生活を疑似体験したのち、どのようにして今の東村での生活にたどり着いたのでしょうか。そして夢見た沖縄暮らしの現実は、いったいどのようなものだったのでしょうか。西野さんに移住までの経緯を振り返っていただきつつ、今の暮らしについても率直にお話しいただきました。

 

遂に移住を決意!沖縄で知り合ったパートナーと暮らす中で気づいたやんばるの良さ

ワーホリの期間が終了した後も、職場環境や知り合った人たちがとても良く、そのまま働きたいという思いが強くなり、勤務先も継続して雇用してくれるということになったので、そのまま道の駅に就職することにしました。

ワーホリ中は期間限定で民家さんにホームステイ(民泊)をしていたのですが、継続雇用となったタイミングで家を探す必要がありました。これが凄く大変だったんです。。。地域の人の紹介で空いている家を探してくれたが、本当に見つからなくて。なので知り合いの家を短期間ずつ泊まりながら、転々とする生活をしていました。ただ、それ自体はとても楽しくて、結果的に知り合いが沢山増えていったことも、プラスだったかなと思います。最終的には家も見つかりまして、晴れて沖縄移住をスタートすることが出来ました。 当初は永住するつもりまでは無かったんですが、沖縄で知り合った男性とお付き合いをし、結婚することになったので、今度は二人で暮らす家を探しました。一旦名護市に住んだんですが、都会的な感じが肌に合わず…やっぱり田舎に住みたい!と不動産サイトで家を探していたところ、東村にある移住住宅の情報が見つかったんです。とても家賃も安くて、ちょうど部屋が空いたタイミングだったので、東村に引っ越しました。その後妊娠、出産を経て、今は夫と娘と3人で、東村で楽しく暮らしています。

東村の道の駅で、名産のパインを手に取る

距離が近く、人の温かさを感じられる東村の生活

東村に引っ越した当初は、引き続き大宜味村の道の駅で働いていたのですが、基本的にはレジ係でした。ただせっかく沖縄に移住したのだからいろんな仕事をしてみたいと思っていた時、東村役場で臨時職員の募集があり、応募したところ採用してもらいました。

現在の仕事はふるさと納税の担当です。東村はパイン栽培が盛んな土地で、農家さんと仲良くなってみたかったので、自分から手を上げました。仕事内容はサイトからの寄付の受付や、農家さんを自分の足で回って、収穫時期である来年の夏に向けて出荷調整のお願いなどもしています。当初の想いどおり、農家さんとも仲良くなることができて、とてもやりがいを感じています。

東村は、とにかく人が良い!というのが移住する最大のメリットだと思います。特に子育てがしやすいですね。どこに連れて行っても、知らない人が話しかけてくれますし、「抱っこさせて」と言ってきてくれます。近場の食堂で家族で食事していた時なんか、食べている間に店主の方が預かると言ってくれ、お願いしたところ、お店じゃなくて店主の家で面倒を見てくれていた、なんてことも。

子どもは普段保育園に預けているのですが、保育園が本当に役場の目の前なので、仕事との両立がとてもしやすいのが大変ありがたいですね。子供の数も少ないからか、先生もすごくしっかり見てくれている感じがあります。

今住んでいるアパートも子育て世代が多く、住民同士の交流もあるので、困ったことも相談しやすいです。子供たちもアパート前でみんな遊んでいるので、本当に環境に恵まれているな、と感じます。

海がすぐ近くの自然豊かな環境でお子さんを育てる

 

移住に際して驚いた/苦労した点

実は沖縄に来た当初、びっくりしたことをメモしていたんです(笑)

なので当時の驚きは今もしっかり残っています!

ワーホリでホームステイをした当初、「近所に挨拶していこう」と言われことと、挨拶の際に、人の家に勝手に入っていくことは一番の驚きでした。ただ、近所の人たちとの距離感の近さは、かなり感動しました。

ギャップを感じたのは生活のテンポ、スピードですかね。石川や京都にいたころと比べて、すべてのペースがゆっくりでした。道の駅のオープニングまでの準備期間も、凄くゆったりしている時期と、開業が目の前までに迫って集中して仕事をこなす時期の差が、とても大きいかったことは衝撃でした。

生活面で苦労していることは、買い物ですね。スーパーマーケットが地域には無くて、日用品の買い物は週末に名護まで行くことが多いです。あと夏の野菜の値段が高いのはとても驚きました。夏が暑すぎて、野菜が育たないみたいですね。

移住してよかったと思う点

もうありすぎるんですが、強いて挙げるなら「人」と「気候」かな。

人については、「温かい」の一言に尽きます。知らない人でも話しかけてくる感じが私は大好きなので、これだけでも良かったなあと思います。

気候も暖かくて大満足です。休日は海か公園に行くことも多くて、子どもにとっては相当良い環境だと思います。ただ、真夏は日光が暑すぎて、外に出せないのが難点でしょうか。

あと、夫が沖縄の人で、実家もやんばるなので、より沖縄の文化に触れるようになったのも、とても楽しいですね。子供が1歳の時には、タンカーユーエー(※)という行事をやったり、しょっちゅう夫の家族と集まってBBQもしているし、色々な人と知り合うことが出来ているのは夫と出会ったからで、もし自分一人で暮らし続けていたら、きっとこうはならなかったと思うので、二人で暮らせているというのが、結局は沖縄生活が続いている一番の要因なのかもしれません。

※タンカーユーエー:沖縄で行われる、1歳の誕生祝いの行事。子供の前に赤飯、本、お金、そろばん、筆と墨、はさみ、お金などを並べ、何を選ぶかでその子がどんな職業に就くのか、どんな人生を歩むのかを占う。

 

 

おきなわ島ぐらし|東村移住情報

先輩移住者インタビュー:沖縄に住みたい!子どものころからの夢を叶えるため、移住ツアー・ワーキングホリデーを経てやんばるへ 西野ひかるさん【前編】

石川県出身の西野さんは、子どもの頃の沖縄旅行で沖縄の魅力にひきこまれ、そこから移住を夢見るようになります。移住体験ツアーやワーキングホリデーを通じて、沖縄生活を疑似体験したのち、どのようにして今の東村での生活にたどり着いたのでしょうか。そして夢見た沖縄暮らしの現実は、いったいどのようなものだったのでしょうか。西野さんに移住までの経緯を振り返っていただきつつ、今の暮らしについても率直にお話しいただきました。

 

先輩移住者プロフィール

名前:西野 ひかる(にしの ひかる)さん
職業:東村役場 臨時職員
出身地:石川県
移住年:2019年
移住地:東村
家族構成:夫、娘(1歳半)

 

年々増していく沖縄への憧れ。最初の出会いから、思いを抱き続けた20代

生まれも育ちも石川県で小さい頃から夏が大好きだったんですが、内地の夏は短くて、ずっと夏が続けばいいのにとすら思っているような子どもでした。

小学4年生の時、初めて家族旅行で沖縄に来たのですが、日本海とは全く違う海の青さやヤシの木が生えている風景、夏がずっと続いているような気候…沖縄のすべてに魅了され、もうその頃から、沖縄移住を夢見ていたように思います。最初の旅行からは3年に1回ほどのペースで、家族旅行で沖縄に行ってましたが、そのたびに沖縄が好きになっていって、旅行から帰ってきても、車で沖縄民謡のCDをかけては、三線の音色で沖縄を思い出し、泣いていたりしました。もはや好きを通り越して、恋だったんじゃないかな(笑)

高校卒業までは地元石川にいて、沖縄の大学への進学も考えたのですがその時は一歩踏み出せず、京都の大学に進学しました。就職活動でも沖縄の企業も受けたのですが、さすがに「沖縄が好き」というだけでは受かりませんでした(笑)

大学生の頃も沖縄にはよく行っていましたが、本格的にはまったのは大学の卒業旅行ですね。一人で宮古島に1か月滞在したんです。最初は1週間のつもりだったんですが、どんどん延長し、結果的に1か月。海も好きでしたけど、自分が住んでいた世界と全く違う、という感覚が面白くて。雪国育ちだったこともあって、暖かい環境への憧れもあったんでしょうね。1年中、半そでとビーサンで暮らしたい、という願いというか(笑)

元々旅行自体が好きだったので、大学卒業後は京都で旅行会社に就職して、カウンターで受付の業務を行っていました。 社会人になってからは、卒業旅行で慣れたこともあり一人旅にはまって、沖縄以外のところも見てみようと色々な島を巡り、小笠原や瀬戸内海の島にも行ったんですが、結局自分にとっては沖縄が最高の場所だ、ということを再認識させられました。

移住前の西野さん

沖縄移住に向けての準備。移住ツアーやワーキングホリデーを知ったことで見えてきた、移住までのステップ

6年間旅行会社で働き、自分の中で一区切りついたので退職しました。退職後、すぐに沖縄へ移住しようとも思ったのですが、実家の事情もあって1年間石川に戻っていたんです。年齢も30歳目前になり、人生の中で大きな決断をするにはそろそろ、という感覚が自分の中で大きくなった時、昔からの夢だった「沖縄移住」をしないことは後悔すると思い、行動を始めました。

ただネットで色々と調べてみたら、沖縄移住に対してネガティブな情報も多く出てきて、自分も少し不安に思いましたし、何より親や友達から強い反対にあってしまい、ちょっと諦めかけたところもありました。

そこで助かったのが、沖縄県が実施していたプログラムでした。ネットを通じて、移住体験ツアーやワーキングホリデーがあることを知り、こういった機会をうまく使って自分なりに答えを出していけばいいんだ!と、安心することができたかな。

まず2019年に宮古島での移住体験ツアーに行ってみて、沖縄移住に対してネガティブな感情が生まれなかったので、今度はもっと長期間滞在してみよう!と思い、1か月のワーキングホリデー(ワーホリ)に参加することに決めました。1か月限定なら親も安心しますし、少しずつステップを踏む感じで進めていったのはとても良かったです。

内容は大宜味村にある道の駅でのオープニングスタッフで、実はワーホリで初めてやんばるに来たくらい、当初は移住候補先とまでは考えていなかったのですが、想像をはるかに超えて楽しい期間でした!

ふるさとワーキングホリデーで中長期滞在中に様々な自然体験をされたとのこと。

 

 

 

おきなわ島ぐらし|東村移住情報