子牛をたくさん産んで引退した母牛を、最後まで責任持って全部使ってあげたいという思いから、繁殖農家という枠を超えて始めた商品化。—畜産以外にも飲食やECなど色々なことをされていますね私たち「和牛繁殖農家」というのは子牛を売るまでが仕事なんです。だいたい9ヶ月から10ヶ月ぐらいの子牛を肥育農家さんに売って、肥育農家さんがそれを太らせて、そこから肉になるという流れで、元々自分達が販売するものは子牛しかなかったんですよ。牛を育てていると話すと、「石垣牛だよね?」とよく言われるのですが、うちは石垣牛※を育てていないし、生まれた牛は子牛で出荷してしまうから、自分のところの肉を私達は食べたことがなかったんです。黒毛和牛は飼ってるけど、肉は販売していない。それにはずっと違和感を感じていました。※石垣牛は、JAおきなわが商標登録したブランド牛であり、八重山郡内の肥育農家で生産・育成地や登記が厳密に管理された生後おおむね20ヶ月以上肥育管理された純粋の黒毛和種の去勢及び雌牛のことをいいます。お母さん牛は子供を産めなくなって引退すると、またそれを競りで売るんです。その後はお肉になるのですが、それを自分たちでやったらどうかなと考えていました。経産牛(引退したお母さん牛)を肉にするところは自分でやって、革は業者にお願いしてなめして財布やキーホルダーなどの革製品にして、油は牛脂をとって石鹸にしたり、捨てる内臓の部分は犬用のジャーキーにしたり…、とにかく牛を丸ごと全部使い切るようにして、売るものを作りたかったんです。まえしろファームのECショップで販売されている革製品。革の風合いが素敵ですね。それと、ちょうど私がまえしろファームで働きだした頃に、お母さん牛になった子達が今引退の時期なんです。同期入社みたいな子達です。あの子達がどこで肉になってるか分からない、(使わない部分は)どこでどう捨てられてるかも分からないっていうのは私は嫌だったんです。最後まで責任を持って全部使ってあげたいと思って、色々な商品にしてみることにしました。—牛一頭一頭の命と体を活用しようという試みなんですね。どの商品もアイデアが生かされていると感じましたが、商品化するのは大変ではありませんでしたか?そうですね。USJでは物販の仕事をしていましたが、自分で加工や梱包、受注や発送など全部やるとなると規模が大きくて、初めてのことばかりでした。島の中でも、経産牛の精肉店や焼肉屋をやっているところは何軒かありますけど、うちと同じように色々な商品開発や販売をしている方はいないと思います。—物や人が限られた離島で、何か新しい試みをしたり、商品化して商売をするとなると、はじめは全部自分でやらなくてはならないように思うのですが、実際はどうでしたか?島の中は知り合いばかりなので、デザインを頼むなら誰に、こういうパッケージをやるなら誰になど、そういうのはすぐ繋がりやすいです。お土産屋さんもいっぱいあるから、商品を置いてもらう場所も誰かに聞けば誰かに繋がるという感じで、売れる売れないは別にして、石垣だったからお願いしたりやりやすかったっていうのはあります。石垣島ではどれだけ遠くても1時間で行けるので、コンパクトさゆえに仕事がやりやすいというのはあると思います。—商品を開発したら、次は売っていく方法も考えないといけないんですよね。そこはプロに任せろって言われたんですけど、私はやってみたかったんですよ。色々やることも考えることもいっぱいありますが、やったことないからこそ面白かったです。前から経産牛の活用と商品化の構想はあったのですが、この2年で色々なことが一気に動きだしました。コロナもあって世の中の状況も変わってきて、ちょっと急がないといけないなと思って、下の子が小学校に上がって少し時間ができるようになったので、それをきっかけに動き始めました。今はやっとちょっと売れ始めたという感じです。—バーをされてるとも聞きました。経産牛から作ったお肉などを出すためですか?やっぱりお肉を食べてもらいたいです。経産牛肉は牛としては高齢なので、従来は「臭い、硬い」などのイメージで敬遠されてきました。ですが、引退後6か月以上、お肉の脂身を入れ替える飼い方をすることで、体内熟成を進めます。その結果、赤身中心でありながら、肉味が濃く、柔らかくて、しつこくなく、あっさりした味わい深く上質な肉を作ることができています。おかげさまで、ご高齢の方にも、お子様にも食べやすいとご好評いただいています。あとは牛の仕事をしていたら一日中誰とも喋らないので、私が誰かと喋りたいなと思って。バーをやってる場所がコワーキングスペースの中のシェアキッチンなんです。リモートワークで多拠点生活をしている人も晩御飯を食べにきたり、帰りに一杯飲んでいくみたいな感じなので、今まで出会ったことがない人も多いし、そういう人の話も聞けるので、私にとってもすごくメリットがありましたね。意外と異業種交流会みたいなところに行くより、地に足つけた繋がりができる気がします。繋がりといえば、月1回、子牛の競り市場があるんですけど、そこに行くと同業者と久しぶりに会えるんです。全国から色んな肥育農家さんが買いにきます。佐賀、長崎、鹿児島、最近では山形の方、栃木とか、本当に全国いろんなところから買いに来られています。そういう方との出会いや情報交換も刺激になります。—最後に、これから牧場経営やそのほかの活動で何か考えていることをお話いただけますか?今は戦争やコロナ、物価高などの影響で牛の相場がかなり下がっていて、2年前の約半分になっています。同業者たちも厳しい状況の中で、意欲が下がってしまっていると思います。私はそれでも和牛は後世まで守っていきたいし、良質な和牛を育てているという誇りがあるので、こっちがダメならあっち。あっちがダメならそっちって、どんどん考えて行動にうつしていかないと、と思っています。今後は販売をもう少し頑張って、あとはコンサル的な仕事を立ち上げようと思っています。バーやECショップを始めた時も法人化した時も、人に頼まずに全部自分で書類を集めてやりました。誰かに聞かれた時にすぐ答えられるようにというのと、お仕事として起業や商品開発、オンライン販売などの相談を受けるようなことをやりたいとずっと思っていたんです。飲食をやったのも、販売のその先を知らないといけないと思ったからです。生産と販売をつなぐことをしたかったので、まずは一回やってみたかった。私も経験があることじゃないと説得力が薄いじゃないですか。私は生産をずっとやっていたし、販売も飲食も全部経験があるから、どのジャンルでも答えられるという強みがあると思うので、コンサルもやっていきたいと思っています。前編を読む|大阪の都会暮らしから、ご近所同士が協力しあって生活する石垣島北部地域へ。眞榮城さんが、日光と海風をたっぷりと受けた良質の和牛を育てる牛飼いになるまで。終わりに沖縄の和牛繁殖業の様子や、地域と農業が深く関わって営まれている石垣島北部の日常など、普段私たちが中々知ることができないお話をして下さった眞榮城さん。まえしろファームで飼われてきた牛たちを、感謝と責任を持って商品化し、その行く末まで見届けたいと話す姿が印象的でした。ご自身で調べて販売まで繋げたり、これからは生産から販売まで自身で経験していることを活かしたコンサルをはじめようという行動力に、とても驚かされました。現在、飼料や燃料の高騰、出荷される牛の価格の下落など、全国の畜産業が直面している状況は、決して楽観視できるものではありません。眞榮城さんは、厳しい状況をお話されながらも、質が良く価値の高い和牛を繁殖しているという生産者の誇りと、和牛を未来にも残すという使命感を持っていらっしゃるように感じられました。学生時代の実習体験での和牛繁殖との出会いが、遠く大阪から石垣島に繋がり、今では一人の女性事業家となった眞榮城さんの今後のご活躍を、心から楽しみにしています。インタビュアーProfile/黒川正裕東京から那覇市へ移住。Web/AI開発のバッカム株式会社(浦添市)代表。まえしろファームのECサイトhttps://maeshirofarm.base.shop/Instagram@maeshiromihoko