秋本康治(あきもと やすはる)さん

先輩移住者インタビュー

秋本 康治(あきもと やすはる)さん職業:なんじょう地域デザインセンター センター長
茨城県出身(移住年:2011年)
家族構成:独身

やりたかった仕事を求めて縁がつないだ沖縄移住

東京の大学で造園学を勉強した秋本さん。卒業後に入社した会社は都市の緑化を請け負う企業で、ビルの屋上に庭園をつくる企画営業として忙しく働く毎日。仕事はハード面が多いかたわら、実際に屋上庭園で作った野菜をレストランで使ってもらったり、酒造メーカーの屋上で作った米で清酒をつくったりと、PRを兼ねた町づくりイベントに関わることも多かったそうです。やがでそういった町を盛り上げていくような仕事をやりたいと転職を考えるようになり、仕事を辞めて2ヵ月ほど町づくりの勉強させてもらうつもりで、大阪の知人事務所に行ったのが2011年の2月。4月からは就活しようと思っていた矢先に起きたのが東日本大震災でした。そこでひとまず就活の時期をずらし、ひと月ほどボランティア活動を行うために東北へ。

ボランティア活動中に、たまたま知人から沖縄で地域づくりに関わっている会社の話を聞き、その会社に興味を持ったことで、行ったことも無かった沖縄へ移住するという驚きの展開になりました。初めての土地での生活はどのように進んでいったのか秋本さんにお話を伺いました。

やりたい仕事のために移住されたとのことですが

秋本康治さん

移住したくて沖縄に来た人も多いと思うんですけど、僕は決してそうではなくて、たまたま誘われて、たまたま来ちゃったみたいな感じなんです(笑)。それまで沖縄に来たこともなかったんですが、仕事を辞めて東京の家を引き払っていましたし、大阪も仮住まいだったので、家も仕事もなくどこでも行ける状況だったんです。誘われたのが街づくりを企画する会社だったから沖縄にきました。もちろん知らない土地で生活する不安はありました。ゴールデンウィークに下見に来て、大丈夫そうだったので6月から働くことにしました。

最初の会社には3年ほどいて、今居る職場も当時顧客として担当していました。前任者が辞めることになり、後任に来て欲しいという声をいただいたので、話し合いのすえ半年間は前社に籍を置いて仕事をし、2014年の3月から専任で働いています。「なんじょう地域デザインセンター」は独立した任意団体で、役所が住民参加型で街づくりをしたいといったときに、住民や事業所の相談相手になったり、役所との間に立つ役目を担っています。地域の人と一緒になって町づくりを進めていく、土台となるような場所なんです。ただ仕事が地元の人と深く関わることなので知り合いはものすごく増えましたが、地縁血縁のない僕には仕事以外の知人が少ないのが悩みの種です。

暮らしの面からみた沖縄はいかがでしょう

住宅ですが、最初下見で沖縄に来た時に紹介してもらった人のところに居候させてもらいました(笑)。そこで一ヵ月間居候している間に自分で家と車を探しました。最初に部屋を借りた場所は浦添市だったんですが、沖縄では車も必須ですね。今の職場に移って南城市に引越してくるときには、せっかくなら古い家に住みたいなと思って沖縄の民家をお借りしています。知り合いの実家なんですが、空いたら貸してくださいと1年ほど言っていたら貸してくれました。 台風のときは雨漏りするし、冬はすごく寒いんですけど(笑)。

秋本康治さん

人との交流の場では、仕事の繋がりもあって地元の人と会う機会が多いのですが、「どこから来たの?」とか「沖縄って住みやすい?」とか本当によく聞かれます。本土出身者とわかると聞かれるので、なんとなくウチナーンチュとナイチャーの線があるようには感じます。別に嫌という意味じゃないです。とまどいはしましたけど(笑)。

沖縄はコンパクトだし、気候もいいし暮らしやすいですね。それから、ここ数年LCCの航空運賃がすごく安くなっているので、沖縄にきて逆に日本中が近くなったなと思います。東京にいた時は名古屋の先に大阪があって、その先に広島があって、ずっとむこうに九州があるみたいな直線的に感じていたんですが、沖縄にくると空から日本を見下ろしてる感覚になりました。日本中が近くなりましたね。結構東京以外のところに行く機会が増えたかもしれないです。

■移住してから出来た沖縄の知人

仕事の縁を中心に400人以上

■移住の満足度

80点おおむね満足している