砂川寿子さん

先輩移住者インタビュー

砂川 寿子(すながわ ひさこ)さん職業:障害者支援施設グリーンホーム 総括課長
大分県出身(移住年:2003年)
家族構成:夫・長女・次女・長男の5人家族

移住の決め手は合同就職説明会
家庭を持ってただ今育児と仕事に奮闘中

大分県出身の砂川さんは、専門学校を卒業したのち地元の特別養護老人ホームに就職、5年間の勤務を経て沖縄へ移住しました。移住のきっかけとなったのは、多忙な仕事の合間を縫ってたびたび行っていた沖縄旅行。宿泊したドミトリーの生活で、地元のスーパーに通ったり、居合わせた人たちと一緒に自炊をしたり、バスを乗り過ごすというハプニングも経験。実家暮らしに甘えながらも、一人で生活してみたいと考え始めていたころだったので、意図せずちょっとした「移住体験」ができたのも大きかったようです。

砂川寿子さん

インターネットでみつけた合同就職説明会に参加し、福祉関係の仕事を得て沖縄に移住しました。移住後は、大分在住時から気になっていた車いすバスケットボールのコミュニティを通じて旦那様と知り合い、ご結婚され、移住14年目の今では、3人のお子さんを育てるお母さんになられています。

砂川さんに、沖縄での仕事や暮らし、そして沖縄での子育てについて、お話を伺いました。

移住を決めてから実際に移住するまではどのような流れでしたか?

砂川寿子さん

「とりあえず仕事がないと沖縄には行けない」と思っていたら、たまたまインターネットで福祉関連の合同就職説明会が開催されることを知り、まずは沖縄での福祉の仕事について、いろいろ話を聞いてみたいと思ったので、有休を取得して沖縄へ向かいました。県外から来ているということで、説明会の場で4社から翌日に面接をしてもらえることになり、そのうち2社から内定をいただくことができました。親には移住を含めた仕事を勝手に決めたので最初はとても怒られましたけど、「決めたんだったら、3年ね」と言われて、そこから具体的な移住準備を始めました。結局、実家との約束は仕事の都合で守れず、沖縄に残る決心をして、現在に至るのですが…(笑)。 就職先や家を決めた期間に、正直気持ちが揺れることもありましたが、揺れる反面、楽しみな気持ちが湧き上がってきたのも確かです。移住に関する不安な気持ちは考えるほど増えてしまうので、逆に楽しみなことを思い浮かべて「きっと楽しいはず!」と考えるようにしていました。 現在の障害者支援施設に転職先を決めたのは、面接時に同じ大分出身の方をご紹介いただいて、心強く感じたからでした。実際に沖縄に移住してからよく面倒をみていただいて、彼女を通じてお友達の輪やコミュニティが広がっていったので、大変ありがたく思っています。

移住して驚いたことや良かったと思うことはなんですか?

驚いたことのひとつは、物流コストのせいか、思っていた以上に物価が高いということです。また方言も独特で、施設を利用する方の生活に方言が染みついていることもあり、言っている言葉の意味がわからず「いま何て言ったんですか?」と聞くことも多くあります。それから「うちなーたいむ」という沖縄独特の時間観。今の会社に入社して「歓迎会をします」といわれたので、言われた時間にの10分前に指定の場所へ行ったけれど誰も現れなくて。ようやく幹事の人が来たのは50分後くらいだったんですが、「砂川さん早いですね」といわれてさすがに驚きました(笑)。

苦労した点としては、やはり「子育て」に関することでしょうか。自分の親戚は大分県にいますし、主人の親戚も近くにいないので基本的に援護がない状態でした。なので、子供が病気になったら自分が仕事を休むしか対応する方法がないような状況で、一人目の時にはどうしたらいいのかもわからず、仕事を休むことが多かったです。ただ、二人目からはいろいろと情報が集まってくるようになって、病児保育施設やファミリーサポートなどがあると知り、結構活用するようになりました。ファミリーサポートの方々はほんとうに家族のようで、こうしたサポートを受けてみると「なんだ、案外大丈夫だ」と思えるようになりました。

■移住してから出来た沖縄の知人

近しい友人は20人くらいです。ただ、仕事を通じて(事業所の利用者さんなどを含めて)出会った人は相当な数なので、数えきれません。

■移住の満足度

80点20点マイナスされている理由は、これからさらに楽しめるという可能性を感じているので、点数の伸びしろを残しておきたいからです。