八前隆一さん

先輩移住者インタビュー

八前 隆一(はちまえ りゅういち)さん職業:伊江漁業協同組合 代表理事組合長
長野県出身(移住年:1998年)
家族構成:妻、子供3人

海がつなぐ仕事に励み
地域活性化のキーマンとして活躍

八前さんの母方のルーツは本島北部の離島 伊江島にあります。高校生2年生のときに、沖縄本島で生活する叔母のところに遊びに行ったおり、叔母の知り合いのダイビングショップで初めてダイビングを経験。そこでダイビングのライセンスを取得しました。その後、東京で働きながらインストラクターの資格も取得し、ダイビングショップのスタッフとして勤務していました。

広い世界を見てみたいという思いもあり、首都圏から離れたショップへの移動を検討していたところ、たまたま伊江島でダイビングショップを経営している会社の人と出会います。「インストラクターを探している」という話を聞き、ダイビングの仕事の閑散期である冬に支度を整え、20歳で伊江島に移住しました。母親の親戚はいるものの、ツテなどではなくまったく偶然の出会いがもたらした移住でした。

移住してから今までのお話を聞かせてください

移住してからは、伊江島のダイビングショップで働いていたんですが、2年ほどたったころ、会社がダイビング事業をたたむことになったので、ある人と共同でダイビングショップを立ち上げることにしました。しかし、最終的に共同経営をする予定だった人が辞めてしまって、自分が引き取るような形でショップの経営者となりました。 その後、ダイビング客の少ない冬場に漁業の手伝いなどをするようになって、伊江漁業組合の組合員となってからは、漁師としてダイビングショップとの兼業をはじめました。28歳になる頃には、漁業者からの推薦を受けて非常勤理事に就任。その3年後の役員改選では、代表理事の候補に選出されてしまいました。 候補に選出された時は、結婚してまだ子供が生まれたばかりだったので、当初は辞退しようと思っていました。組合の「代表」を任されるということは、ほかの立場を任されるのとは大きく違う意味を持ちます。「今回ではなく3年後(次期)にしましょう」と周りを説得しましたけれど、後押しもいただき選挙で当選してしまいました。当選したことで覚悟を決めてお引き受けしました。32歳の事です。
 漁協組合に理事として関わってからは、さまざまなことに取り組んでいます。一番初めに「伊江島おっかー自慢のイカ墨じゅーしぃの素」という商品の商品化と、販路開拓に関わりました。伊江島産の原料の仕入れをし、加工業者との調整、商品化まで手掛けています。

八前隆一さん

移住してみて驚いた事や移住者へのアドバイスはありますか?

驚いた点でいうと、伊江島は芸能やスポーツが盛んで、地域性もかなり独特だと感じます。沖縄はどこでも野球が盛んなんですが、伊江島では野球のほかに陸上や相撲も昔から盛んなのが特徴だと思います。 それから言葉には苦労しました。最初は何を言っているのか全くわかりませんでした。漁師が使う言葉と、島の人たちが使う言葉が少し違ったりするので大変でした。 移住ということで見ると、伊江島には移住者が結構いますが、自分が男だからなのでしょうか、移住者同士の会のような、一緒に飲みにいくような機会はあまりないです。女性は結構集まりがあるようですが、男性同士は会えば話しますが、特にコミュニティがあるわけではありません。

移住者として自分自身で覚悟して、移住してくるのであれば、それでいいんじゃないかと思います。やりたいと思ったらやればいいと。ただ、何をするにしても同じことだと思いますが、簡単なことではないので「いつでも帰れるからいい」という気持ちなら、移住するのはやめた方がいいと思います。どこに行っても、自分が今何をするかということに、真剣に向き合う覚悟をもつことが大切じゃないでしょうか。

■移住してから出来た沖縄の知人

500人。島内の同じぐらいの年代はほとんど知っているし、もちろん仕事関係もわかっているが数えきれない。

■移住の満足度

120点満点越えの理由は、自分のなかで大満足しているから。