木里頼子さん

先輩移住者インタビュー

木里 頼子(きさと よりこ)さん職業:沖縄県立中部病院 新生児内科副部長
東京都出身(移住年:2004年)
家族構成:独身

子どもたちの姿をきっかけに移住
小児科医として、生活者として見た沖縄

東京生まれの木里さんの実家はお寿司屋さん。幼いころから生き物や理科の授業が好きで、「世の中の役に立つ仕事がしたい」との思いから医療の道を志しました。奈良県の医大を卒業した後は、同県の病院に小児科医として勤務。当時、外来で待合室にいる子どもがデジタルゲームで遊んでいる姿が目立ち、外遊びをする子どもを見る機会がほとんどないことが気になっていたそうです。

学生時代から住み慣れた奈良県での15年間の生活を経て、木里さんが沖縄への移住を決めたきっかけや、現在の沖縄での生活について伺いました。

どのような経緯で沖縄へ移住されましたか?

木里頼子さん

奈良で勤務していた頃、休暇で沖縄の宮古島へ行ったんです。そこで子どもたちが、港で鬼ごっこしたり、海へ飛び込み競争をしている姿を見ました。年も性別も違う子どもたちが、仲良く外遊びをするようすを見て、「こういう子どもたちと関われたら、自分も元気になるだろうな」と思ったんですね。丁度、そろそろ奈良の病院を出て、別の病院でキャリアを積もうと考えている時期でした。

沖縄を転職先の候補にしてから、最初はインターネットで検索したりしてたんですが、そのことを当時の上司に何気なく伝えると、「病院の方針も治療に対する考え方も、地域や求められるものによって差があるので慎重に考えて選んだ方がいい」と言われました。結果的には、その上司が沖縄の病院に勤めている先生を紹介してくださり、面談を経て転職することができました。

医療関係は人手不足なので、就職先は見つけやすいかと思いますが、病院にはそれぞれに使命や求人に対するニーズがあります。ですから「自分がしたい仕事」を突き詰めて考える必要があり、そうでないとミスマッチングが起きて、結果的に短期間で帰ることになってしまいます。私も面談で「小児科医として、あなたは何がしたいの?」と聞かれました。特に沖縄は短期間で帰られる方も多いからか、初めてお会いした時も「どうせ2~3年で帰るつもりでしょ?」と言われました。かなり忙しくて大変だ、といった本音も伺ったうえで、それでもお互い大丈夫なのか、丁寧に確認しあう中で「ここでなら頑張れそうだな」と腹を決めました。

移住して驚いたこと、苦労していること、良かったことを教えてください。

まず驚いたのは、時間の感覚です。自分の歓迎会が6時からあると聞いていたので、時間通りに会場へ行ってみると3人しかおらず、結局1次会が終わったのが12時過ぎでした(笑)。ビーチパーティーやイベントも結構頻繁にありますが、どれも長丁場が多いです。だからといって、全員参加を強いるようなことはなく、自由な雰囲気なので、気楽でよいです。

あと、結婚式にも大変驚きました。200~400人と参加者の数も多いですが、初めて出席した結婚式では席が決まっておらず、会場で「高砂側、余興側、どっちにする?」と聞かれて意味がわかりませんでした(笑)。余興用のステージがあって、みんなで楽しむ、来た人を喜ばせるという沖縄らしさだととても感じます。何かあったらみんなでお祝いするし、悲しむし、励ましあうし、助け合うしという心意気です。仕事でもプライベートでも、とても楽しいです。

苦労しているのは、県外に行くのに必ず飛行機を使わないといけないという点です。金額もかかりますし、天候に左右されたり、発着時間の遅れ等が頻繁に発生したりと、歯がゆく感じることがあります。

移住してよかったと思う点は、やりがいのある仕事に出会えたことと、上司も同僚も良い方々に恵まれたことです。「ゆいまーる(助け合い・相互扶助)」、「いちゃりばちょーでー(出会えばみな兄弟)」などの精神を、生活の中でとても身近に感じられることもとても楽しいです。あとは、海が好きなので、奈良にいた頃も数か月に1回程ダイビングはしていましたが、沖縄に来てからは午前中に仕事をして、担当の患者さんの状態が確認できれば、午後に海へ行くこともできます。奈良ではそんな風に海へ行くことはできませんでしたので(笑)。

■移住してから出来た沖縄の知人

数十人。学生時代から沖縄に来ている方ならかなり友人の輪が広がっていくのかもしれませんが、職場を通じて知り合った方々は数十人、プライベートでなんでも話せる友達となると、ほんの数人です。

■移住の満足度

100点今の生活に不満はないです。沖縄から出ていきたいかと言われると、そうは思わないので。