高校生まではご実家のある茨城で育った美紗さん。緑豊かな自然に包まれ、幼少期はのびのびと自由奔放に育ち、生徒の自主性を重んじる地元の中高一貫校に進んだ後に、今の自分を導いてくれた人生の師とも言える世界史の先生に出会ったそうで、その先生の影響で「広い世界を見るんだ!」と強く心に決めていたそう。自然豊かな場所で育った美紗さんでしたが、実は都会への憧れがとても強く、大学では絶対に東京で暮らすんだと心に決めていたそうです。(田舎がイヤで七夕の短冊に東京に行く!と書いていたとか) その後、念願叶って東京の都心の大学に通う事になった美紗さんは、遊びも勉強も常に100%で向き合っていましたが、その中でも一番力を注いだのがフィリピンの山に植林をする活動でした。初めの年は、私たちがボランティアとして与えに行くんだという驕った気持ちがあったんですが、実際に行ってみたら地元の方にお世話になり与えられることの方がよっぽど多く、「なんでみんな貧しくても笑顔でこんなにやさしくしてくれるんだろう?」と考え始めた頃から美紗さんの人生は大きく動き始め、今沖縄に住んでいることへと繋がっていきます。江利川美紗(エリカワミサ)さん職業:久志地域交流推進協議会事務局、地域学校協働活動推進員(コミュニティースクールの推進)、母子推進員など出身地:茨城移住歴:5年家族構成:夫、お子さん2人懐かしい未来へ「人と自然・人と人・人と社会のつながり」が紡ぐ豊かな暮らし 高校在学中から教員免許を取り、自分の通う高校で働きたいと考えていた美紗さんは大好きな母校で教育実習を受けることになりました。しかし、自分の思い描いていた理想と現実にはギャップがあり、教員になることを諦め、途方に暮れていたところ、専攻していた環境教育の指導教官からネパール、タイの農村へのESD(持続可能な開発のための教育)研究旅行へ誘われ、気休めに行ってくるかという軽い気持ちで付いていったところ、フィリィピンで行っていた植林活動での熱い気持ちが蘇り、大学院へ進み研究の道へと入ることになりました。ESDの研究を進めていく一方、夢であった教師への憧れも持ち続けていたため、東京都大田区の教育委員会で社会教育課の職員として、青少年リーダー育成講座の企画・運営、日本語のできない方向けの読み書き教室の支援など様々な教育分野にも関わってきました。当時大学生だった今の旦那さんとは葛西臨海公園で開かれた環境教育プログラムで知り合い、意気投合してお付き合いをすることになりました。積極的で行動派の旦那さんは、学生時代から自然体験や環境教育の実践などで活躍し、就職もESDや自然体験の普及、実践を行う団体に就職し、支部のあった沖縄の名護市へひと足先に移住することになります。しばらくの間、遠距離恋愛となったお二人ですが、移住を機に旦那さんからプロポーズを受けた美紗さんは、喜びつつも大学院での研究やライフワークとしていた社会教育のお仕事などもあり、少し悩んだそうですが、昼も夜も勉強と働きづめの生活でかなり体に無理をしていたこともあり、もう少し気張らずに生きていこうと結婚を機に沖縄へ移住することを決意したそうです。研究者の立場から現場のど真ん中へ 移住後は「住み続けたくなる、持続可能な地域の実現」を目標に民泊事業や地域ガイドの育成、ものづくりの技の伝承などに取り組んでいる久志地域交流推進協議会へ就職。さらに今では社会教育に携わってきた経験や、地域と連携して事業を行ってきた人脈を買われ、コミュニティースクールの推進員(地域と学校の橋渡し役)にもなっています。社会教育や環境教育では研究など一歩引いた立場から関わってきたところ、今度は教育と地域社会の現場のど真ん中で仕事をすることになった美紗さんでしたが、思い返すと今まで学んできたことや経験してきたことがここ名護市東海岸でひとつに繋がったと感じられた瞬間でした。広い世界を見たい、いろんなことに挑戦したいと願っていたけれど、それは何もいろんな国へ行って見たり経験したりすることだけじゃなく、ライフワークとなっている社会教育、環境教育の現場を経験することもまた新しい世界を見ることであり、挑戦なんだと腑に落ちそうです。 今では、学校にとっても地域にとってもなくてならない地域連携のキーマンとして働くかたわら、久志地域交流推進協議会の事務局として、民泊の受け入れや大学生の長期ボランティアの受け入れ、移住者の受け入れなど外から来る人と地域との連携役を担っています。日々の生活に感謝する移住後の暮らし 仕事柄、地域の区長さんや地域活動のキーマンと知り合うことが多かったため、移住後も困ったことはほとんどなかったそうですが、移住間もない頃、家の玄関の前に野菜がたくさん置いてあって、お礼を言いたいけど誰が置いてくれたのか分からなくて困ったこともあったそうですが、今はキュウリなら誰と野菜を見て人が分かるまでになったそうです。 悩みというのもほとんどないそうですが、こちらに来て驚いたことはお祝いごとや行事がとにかく多くて休日も結構忙しいんだとか。 移住して良かったことは?という質問には、「やっぱり、豊かな自然とかせかせかしていない島時間がとっても肌に合っていて、子育てにも最高の環境です。あと、こちらに来てからは、都会ではお金を払えば手に入れられるサービスも大抵のことは自分たちでやらなければいけないので、百姓さながら本当にいろんなことができるようになりました。買物も近くにスーパーやコンビニはないですが、ナイことでわかるありがたみというのが分かり、日々の生活に感謝をするようになりました。」とのこと。 最後に将来やりたいことや夢は?とお聞きしたところ、「個人的には、もっと子供が欲しいし、もっと人の役にも立ちたい、それで最終的には自分で居酒屋を開いて人生の悩み相談するのが夢で、地域的には、自分たちが移り住んだ嘉陽という集落が、ここ数年で移住者とその子どもたちで一気に20人も増えて活気が出てきたように、この名護東海岸が持つ、「豊かな自然と人の営み、人と人、人と社会のつながり」に惹かれ共感する人がもっと移住してきて、なんだかちょっと懐かしい雰囲気がする新しい未来を地域の人と共に一緒に築いていくことです!」と笑顔で力づよくおっしゃっていた姿がとても印象的でした。移住してから今迄で出来た沖縄の友人/知人の人数約200~300人移住の満足度100点県内各地の先輩移住者さんにインタビューしました!アーカイブはこちら↓