友野さんが、生まれ育った大阪から人口約1,000人の多良間島へ地域おこし協力隊として移住したのは、2016年のこと。3年の活動期間と、その後のコロナ禍を経て、現在は島で予約制のお弁当屋さんを経営しています。開店して2年が経ち、今では毎日のようにお弁当を注文する常連さんもできて、地域にとってなくてはならないお店となってきています。先輩移住者プロフィール名前:友野貴子(とものたかこ)さん職業:お弁当屋「toco+moca」店主出身地:大阪府移住年:2016年移住地:多良間村家族構成:単身島民のランチタイムを楽に・美味しく彩るお弁当屋さん那覇から宮古島を経由し、更に飛行機で西へ20分ほど進むと、平坦で楕円の形をした多良間島が眼下に見えてきます。多良間空港に到着後、サトウキビ畑や牛舎を過ぎて、北にある集落までは車で約5分ほど。友野さんが営むお弁当屋さんも、暴風林のフクギ並木に囲まれたこの静かな集落の中にあります。多良間の海をイメージした鮮やかな青色のユニット型宿泊施設に併設された建物が、友野さんのお店兼厨房です。中の様子を伺うと、友野さんが注文の数だけお弁当箱を並べ、卵焼きやマカロニサラダなどの副菜を詰めているところでした。「スペースが限られてるのと、私一人でやっているから、順番をよく考えて作っています。小さな島なので、食材は割高だし貴重だから、無駄にしないように在庫と手順、作れる個数を考えて、パズルみたいにメニューを考えています。だから前日にメニューはお知らせしないで、注文数がわかってから決めます。お弁当を受け取って、蓋を開けてみてのお楽しみにしています!」その日のメインのおかずは回鍋肉。友野さんは、大量のキャベツとお肉を大きなフライパンに入れて、勢いよく炒めはじめました。味噌と醤油の焦げる良い匂いが厨房に広がります。食材にはこだわりがあり、大阪の実家がお肉屋さんをしていることから、その伝(つて)でお肉は質の良いものを、お米も美味しい米どころのものを取り寄せているそうです。炒め物をしている間にお米が炊けると、友野さんは素早く炊飯器の方へ寄っていき、蓋を開け湯気が立つお米をテキパキとほぐしだしました。時計を見て、お客さんが来る頃を見計らいながら、熱々のお米と回鍋肉を手際よく弁当箱に詰めて、手提げに入れたちょうどその頃、今日の一人目のお客さんが来店してきました。「みなさんに何時ごろに取りに来るか聞いてるから、温かい状態で渡すようにしてるんですよ。これも私のこだわりの一つです。」お店の受け取り口の窓を開けて、お客さんと軽く世間話をしながらお弁当を渡す友野さん。お客さんはほとんどが地域の人だそうです。島外から仕事できている作業員さんたちの中にも毎日のように注文する方がいて、顔馴染みになりました。島にはスーパーや飲食店が数軒ありますが、島民は職場から家に帰ってお昼をとるのが一般的だそうです。「それでも、1日のうち1食くらいは買って楽して食べたい、っていう人もいるんじゃないかな。お客さんの中には、お年寄りの単身世帯の方とか、お嫁さんが留守する時にお弁当を注文しておいて、お昼に旦那さんがうちに受け取りにくることもあります。島で温かいお弁当を買えるようになって良かった、って言ってくれる人もいます。」ボリューミーでメインも副菜も色鮮やかなお弁当。何十個もの大口の注文や、法事やお祝い事の集まりで振る舞うオードブル(大皿料理)の注文が来ることもあり、開業してからの友野さんの毎日は大忙しだそうです。取材当日も、お弁当販売が終了した後、ひと息つく間もなく、島外から届いた食材を受け取りに港まで車で向かいました。「本当は明日の便で届けてもらう予定だったんだけど。今夜から波が高くなるらしいから、フェリーが欠航するんじゃないかと思って、前倒しして今日の便で食材を届けてもらったんです。フェリーが欠航したら食材も届かないし、お弁当販売もできなくなっちゃうので。」天候からフェリー運行の予測までする姿を見て、友野さんがすっかり島に馴染んで逞しく暮らしていることを感じました。後編では、友野さんが沖縄と出会い、地域おこし協力隊として多良間村へ移住した経緯をお伝えします。後編を読む|先輩移住者インタビュー:島民約1,000人が暮らす多良間島で、予約制のお弁当屋さんを営む友野貴子さん【後編】