大阪出身の眞榮城さんは、石垣島北部地域で和牛繁殖を行う農家「まえしろファーム」を経営しています。牧場でのお仕事は、牛の世話に加え、種付けや分娩管理、生まれた子牛の育成など、並ならぬ体力と根気を要しますが、眞榮城さんは繁殖業に留まらず、経産牛の精肉販売や革を使った製品プロデュース、牛グッズを販売するECサイトの運営に、飲食店の経営、牛に関わって働く方向けのオンラインサロンの運営、畜産全般のコンサルまで、多岐に渡って活動されています。石垣島北部の豊かな緑に囲まれ、静寂の中で穏やかに草を食む牛たちが暮らす牧場で、眞榮城さんの牛に関わる仕事への情熱とこだわり、そして移住先として沖縄を選んだ理由などをじっくり伺ってきました。(インタビュアー:黒川正裕)移住者プロフィール名前:眞榮城美保子さん職業:和牛繁殖農家出身地:大阪移住時期:2006年ごろ移住地:石垣島家族構成:夫、子供2人大阪の都会暮らしから、ご近所同士が協力しあって生活する石垣島北部地域へ。眞榮城さんが、日光と海風をたっぷりと受けた良質の和牛を育てる牛飼いになるまで。—移住してきてから17年ぐらいとおっしゃっていましたが、それ以前はずっと大阪ですか?出身は大阪ですが、大学進学で神奈川の麻布大学の動物応用科学科に行きました。動物と関わることを学べる学科です。大学を出た後は一旦大阪に帰りました。周りはみんな就活をしていたのですが、私は全くピンとこなくて、就職は向いてないなと思って、仕事も何も決めずに大阪に帰ったんです。それで、どうしようかなと思っていた時にユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)で働くことになりました。牛を育てる牧場に勤めることも考えたのですが、まずはちょっと別の仕事をして視野を広げたいなと思ったんです。USJには3年ほど勤めました。そして、やっぱり牛の仕事がしたいとなって、石垣島の畜産農家に就職しました。—賑やかで華やかなUSJから、いきなり離島の畜産農家へ転職、と聞くとすごく急展開な印象です。牛に関わる仕事をしたい、しかも沖縄で働こう、と思った理由をお聞かせ願えますか?元々漠然と動物の仕事がしたいと思っていましたが、牛を育てる仕事があること自体知りませんでした。それが大学の時、牧場実習で沖縄にある離島の黒島※に行って。私にとっては初めての沖縄で、初めて和牛繁殖という仕事に出会ったことが、すごく印象深かったのだと思います。※黒島は沖縄の八重山郡にある離島です。人口約220人に対して、牛の数は3000頭を越える牛の島としても有名です。出身地の大阪は都会で、近くに親戚も少ないし、住んでいたところも大きいマンションで近所付き合いもほとんどありませんでした。でも、大学の実習で訪れた黒島では、牛の去勢をする作業の時に、ーー牛を倒して足を縛ってとか、結構大変なんですけどーー、そこでは隣近所に呼びかけて、集まった皆でやってたんです。牧場の草刈りも地域の人と協力してやったりする。それが私にとってはすごい衝撃的で、人間関係が濃くて密に感じました。それから滞在期間中に地域の行事もあって、私もお手伝いとして受付をしたり、食事を運んだりしたのも、すごく楽しいなって感じました。それで、牛を仕事にするなら黒島の農家さんたちのように、(同業の)牛飼いの知り合いも近くにいて、仲間や地域との関わりが密なところがいいと思うようになりました。例えば、北海道のように隣の家が何十km先という広々とした環境もあると思うんですけど、沖縄は集落の近くに牧場があって、近所の農家同士が気軽に協力し合って作業しているんですね。そういうのは私にとって初めての経験だったし、魅力的に感じたので、畜産をやるなら沖縄だなと思いました。—ではそのタイミングで沖縄の農家さんに就職されたんですね。最初はまえしろファームとは別のところで働きはじめました。そこで長く働くつもりが、同じく牧場をやっている主人と出会って子供もできたので、結婚を機に夫の牧場で働くことになりました。30年ほど前に主人のお父さんの代から始まった牧場で、2年前に法人化して、名前を「まえしろファーム」と決めて今に至っています。—牧場がある石垣島の北部地域に移住して驚いたことはありますか?行事が多いですね。例えば、うちは主人が長男、お父さんも長男なので仏壇※があります。仏壇があるところはヤームトゥ(本家)というのですが、親戚がみんな正月とお盆の時に必ず集まります。それ以外にも法事やお彼岸、十六日祭、シーミー※など色々あります。※沖縄では先祖を供養する仏壇を、家族の長男の家において守る風習があります。※十六日祭、シーミーはどちらも沖縄で伝統的に行われる祖先供養の行事で、主にお墓参りをします。さらに集落の行事もあるんですよ。敬老会、お正月、入植記念日※、お盆もエイサーがあったり、とにかく家の行事も地域の行事も多いですね。※まえしろファームがある石垣島北部明石地区は、戦後沖縄本島北部から移民が入植して開拓した歴史があります。集落の人々は、開拓当初からマラリアや台風、干ばつなどの幾多の被害や苦労を乗り越えてきました。島の移住者でも移住しただけだったらそこまではないと思うのですが、私は嫁に入っているので、色々な行事に深く関わるようになって、行事の多さに最初はちょっとびっくりした感じです。もう慣れましたけどね。コロナで数はだいぶ減りましたけど、それまでは月1回か、2ヶ月に1回は何かしら行事がありました。—この地域のおすすめのところ、いいところはどんなところですか?良い意味で「狭い」ところかなと思います。作業や用事で助けが必要な時に、「これを頼むんだったらこの人」とすぐに思い浮かぶので、人と繋がりやすいところはいいところだと思います。あと、変わった人が多いですね。一芸を持っている人が多い気がします。気兼ねなくお付き合いしていたご近所さんが、実はものすごい絵がうまいみたいな、そういう何かに秀でたスペシャリストが結構多いです。普段は郵便局の人だけど、「実はあそこのシーサー、あの人が作ったんですよ」みたいな。芸術系が多いかなと思います。後編を読む|子牛をたくさん産んで引退した母牛を、最後まで責任持って全部使ってあげたいという思いから、繁殖農家という枠を超えて始めた商品化。まえしろファームのECサイトhttps://maeshirofarm.base.shop/Instagram@maeshiromihoko