地方移住をする際に、まずは地方の都市部に移住し、そこを拠点に自分に合った田舎の地域を見つけて移り住む「ステップ移住」が注目されています。沖縄移住の場合でも、那覇市などの市街地に移住し、その後理想の田舎暮らしを求めて離島や本島北部へ移り住む方もいらっしゃいます。大阪府出身の山本勇樹さんもそのおひとりで、2016年に那覇市のお隣、豊見城市(とみぐすくし)に移住し、その4年後には昔ながらの暮らしが残る名護市久志地域へステップ移住しました。そば店厨房にて。現在、同市にある沖縄そばの名店「いしふぐー やんばる店」の店主を務める山本さんと奥様の志穂さんに、沖縄への移住とステップ移住の経緯、移住時の苦労やこれからの思いなどを伺いました。※やんばるとは、沖縄本島北部エリアを指す沖縄の方言です。 先輩移住者プロフィール名前:山本 勇樹(やまもと ゆうき)さん職業:沖縄そば店主出身地:大阪府移住年:最初の移住2016年 ステップ移住2020年移住地:豊見城市→名護市久志地区家族構成:妻、お子さん2人 人力車の車夫から転身!憧れの沖縄移住を実現するため、沖縄そば店へ出身は大阪府で、高校時代からアルバイトで飲食業には関わっていて、京都の大学在学中もイタリアンレストランでバイトしていました。その後、大学を2年間休学して、ワーキングホリデー制度を利用しオーストラリアに渡り、今の妻ともそこで出会いました。大学卒業後は京都の人力車の会社で働いていました。学生のときに子どもができて結婚し、仕事を探さないといけない状況で「何をして暮らしていこう…」となったとき、渡月橋(京都の嵯峨野と嵐山を隔てて流れる桂川に架かる橋)でちょうど私の目の前を人力車が通ったんです。その瞬間、「これやってみたい!」と思い、人力車を運営する会社に入社しました。偶然の出会いですね。その会社では約6年働きました。人力車と言うとインバウンドのお客さん相手の印象が強いかもしれませんが、7、8割は日本人のお客さんでした。京都で人力車の車夫を務めていた頃。 沖縄に憧れを持つ人は多いと思いますが、私も海のきれいな沖縄への憧れがありました。妻はもともとダイビングインストラクターで、私もオーストラリアに行ったのはダイビングのライセンスをとるためでした。移住した直接のきっかけは、2016年に先輩から、「自分の信頼できる人が経営する、沖縄そばの有名店で働かないか?」と誘われたことです。先輩がお世話になっていた方と、この店(いしぐふー)の元オーナーが親友だったんです。それがなければ、沖縄移住までにはもう少し時間がかかったかもしれないですね。 失うものが無かったから、移住への不安は少なかった移住でなかなか一歩踏み出せない人というのは、仕事を変えて、環境を変わることのリスクを考えすぎてしまう、もしダメだった場合戻る場所がないのでは、と不安になっていると思うのですが、私の場合失うものがなかったんです。人力車も嫌いな仕事じゃなかったし、戻ろうと思えば戻れたかもしれない。ちょっと格好悪いですけど(笑) 沖縄に来ても別に今の暮らしとそんなに変わることはないと考えていました。一番の不安点を挙げるなら、親との距離が離れることですね。親に子育て等を頼る点でもそうだし、もし親に何かあったときも、飛行機に乗らないといけないのですぐには行けない。正直最近も全然帰れていないです。多分移住する人みんなが悩むところでしょうし、私たちも仕方がないと諦めている部分はあります。(志穂さんから) 私は子どもが学校に馴染めるかどうかが一番不安でした。でも生活が変わることに関して不安はなかったですね。最初に住んだのは豊見城市(※)で、生活面では全然不便もありませんでした。(※豊見城市…沖縄本島南部の市。沖縄県の県庁所在地である那覇市の南に隣接するベッドタウン)豊見城市内の公園にて。市は那覇市街地や空港にも近く、また整備された公営ビーチもあり、移住先としても人気エリアです。 仕事場は主に沖縄南部でした。私は当初現場に入るのではなく、各店舗の独立支援のためのマネジメント担当として入社しました。前の人力車の会社にもチームがあって、チームリーダー的な仕事はやっていて割と結果が出ていたので、その話がいしぐふーには実績としていいように伝わっていたんだと思います(笑)ただ、現場を体験しておかないと言葉に説得力がないと思って、店を自分で担う人の気持ちをしっかり理解するために現場の経験もさせてもらいました。やはり飲食は大変だと思います。沖縄の人との感覚の違いも感じたし、自分で店をやる人たちがどんな気持ちでやっているのか、どんな拘りがあるのか、それを含めて考えないと、その人とのコミュニケーションも繋がりきらないということを、現場の仕事を通じて感じました。結局現場の仕事もやりながら、2018年くらいまで3年ほど、店舗支援の仕事は続けていましたね。 平日は南部、土日はやんばる(沖縄北部)というハードな日々やんばる店はいしぐふーの1号店ですが、スタッフ不足により閉店する可能性もあったものの、固定のお客様もいることもあり土日だけ営業を続けることになり、私が行きます、と手を上げました。2018年から、平日は店舗支援を続けながら土曜と日曜はやんばるに通って店を切り盛りする形になりました。那覇の近くに住んでいると、生活は東京とそんなに変わらない。でも、やんばる店に来ると、状況が全然違うな、と感じました。那覇周辺は近所の人との繋がりは薄い。でもこのやんばるには「沖縄」という言葉で本土の人がイメージするような人との繋がりが実際にあって、人間味がある。地元の人が最初はちょっと距離を取りながらも、慣れてくると徐々に笑顔に変わってきたり、見守る感じになったりする。そういう親しみはこういう田舎の方が感じやすいのかなと思います。(志穂さん)南部からやんばるに通っている間は、常に寝不足の状態で行き来していたから、いつ事故を起こすかと心配でした。夫が帰ってきたときの表情がすごく疲れて、目の下にクマができていたり。 後編を読む|南部と北部の店舗を往復する多忙な日々を脱して、家族でやんばる移住に踏み切った山本さんご一家。都市部と異なる家探しの苦労や、都会から田舎へ引っ越しての子供たちの反応は? 山本さんが経営する、沖縄そば「いしぐふー やんばる店」Information沖縄県名護市安部505https://www.ishigufu.jp/shop/yanbaru おきなわ島ぐらし|名護市移住情報沖縄の先輩移住者インタビュー一覧へ