沖縄県にある離島・粟国島(あぐにじま)へ移住した上原梓子さんへのインタビュー内容を前編後編の2回に分けてご紹介します。村の地域おこし協力隊として着任し、地域の憩いの場所づくりのために空き家再生、カフェオープンまで奔走したお話を、ご自身の様々なライフイベントも織り交ぜながらお話いただきました。 先輩移住者プロフィール名前:上原梓子(うえはら あずさこ)職業:「しまカフェヒージャー珈琲」オーナー出身地:神奈川県小田原市移住年:2017年10月移住地:粟国村家族構成:夫・猫 仕事漬けで過ごした東京を離れ、ゆったりと時が流れる粟国島へ。沖縄本島からフェリーで約2時間、外周12kmほどの小さな島で、約680人が農業や畜産業を主な生業として暮らしている粟国島。2017年に地域おこし協力隊としてこの島に移り住んだ上原梓子さんは、神奈川県横浜市生まれの小田原育ち。東京で音楽雑誌のライター・編集者としてキャリアをスタートしました。「仕事大好きなワーカホリック」と東京での自分を振り返る梓子さん。寝る間も惜しむ激務のなかで着実に実績を積み、より大きな仕事を任されるようになりますが、30代で転職した先でのハードワークがきっかけでパニック障害を患ってしまいます。休職や転職を試みるも症状は一進一退で、ついには東京での生活に限界を感じるように…。そんなつらい日々のなかで梓子さんを癒やしてくれたのは、ボーッと海を眺めることだったといいます。粟国島随一のビーチ、ウーグの浜から昇る朝日。真っ白な砂浜が1kmほど続く浜の近くにはオートキャンプ場も 「もともと海の近くで育ったので、きっと海や島への憧れがあったんでしょうね」と、梓子さんは当時を振り返ります。その後、病気は寛解し、東京の出版社に再就職。実家のある小田原から電車通勤をしていましたが、やがて東京に通うことにも息苦しさを感じるように。そんな中、アドリア海に浮かぶクロアチア共和国のコルチュラ島への一人旅をきっかけに、島の美しさに魅了されて移住を模索したところ、たまたま粟国村が地域おこし協力隊を募集していることを知ったのです。「日本のほかの地域の島にも行ったことがありますが、住むなら沖縄がいいなと思って。粟国島は着いた瞬間からウェルカムな空気感が漂っていて、すごくオープンな島だと感じました」 空き家再生プロジェクトで一から作りあげた「みんなのカフェ」もとは空き家だった建物を仲間とリノベーションした「しまカフェヒージャー珈琲」。東集落の中心部にある 地域おこし協力隊として粟国島に赴任した梓子さんに、早々に訪れたのは運命の出会いでした。村役場で働いている現在の旦那さまと赴任4ヶ月目で結婚することに。島への定住をほぼ決意した梓子さんは、将来の自分の生業づくりを視野に活動の場を広げていきました。なかでも大きな転機になったのは、地産地消を推進するイベント「青空マーケット」の運営に携わったこと。誰もが気軽に集まれる場所が少ない粟国島で、青空マーケットは次第に島のひと同士のコミュニケーションの場になっていきました。「月に1回のイベントでも、みんなで集まってゆんたく(おしゃべり)できるのが楽しい。近ごろはこういう機会も減ってしまって…」という島のひとの言葉に、梓子さんの前には大きなビジョンが広がりました。「場所がないなら作ればいい。カフェをオープンしよう。店も中身もみんなで作ろう!」という決意の元、空き家再生プロジェクトがスタートします。 カフェで働く梓子さん。オープンキッチンの店内にはテーブル席があるほか、バルコニーを利用したテラス席も快適 資金調達のために行ったクラウドファンディングのリターンには、梓子さんが育てた無農薬バタフライピーの加工品や、青空マーケットのメンバーが開発した島の特産品も並びました。さらに空き家改修の過程で開催したDIYワークショップでは、島内外の地域おこし協力隊はもちろん、空き家再生プロデューサー育成プログラムのメンバーや多くの島民も手を貸してくれました。資材も移動手段も限られている島でのカフェ開業に心が折れそうになったことも度々でしたが、周囲の温かい励ましや協力にその都度助けられ、2021年5月、ついに「しまカフェヒージャー珈琲」がオープンしました。 後編を読む|梓子さんがオープンした「しまカフェヒージャー珈琲」は・・・おしゃれでおいしい料理が好評。島の素材を生かした観光客向けメニューも準備中! 上原さんが経営する「しまカフェヒージャー珈琲」Information沖縄県島尻郡粟国村字東355番地https://hijacoffee.com/ おきなわ島ぐらし|粟国村移住情報粟国村情報ポータルサイト(移住情報含む)|Agunity-粟国島ポータル沖縄の先輩移住者インタビュー一覧へ