
先輩移住者インタビュー
相原 実里(あいはら みのり)さん職業:会社役員(元今帰仁村観光協会職員、2017年現在も今帰仁村にて活動中)
福岡県出身(移住年:2012年5月)
家族構成:妻、子供1人(夫婦で移住し、沖縄で子供が生まれる)
地域のルールを大切にする姿勢を基本に、
地域のサポーターでありたい
相原さんは生まれも育ちも福岡。大学時代に中国の大連に一年半間留学していたことがあり、外国語を使う仕事をしたいと思ったところから、卒業後は東京の貿易商社に就職したそうです。ただ、東京暮らしは5年でやめようと考えていたとか。
元々自然が大好きで、カヤックやキャンプを楽しんでいたということもあり、大連留学中に出会った奥さんも自然大好き派。東京を離れて移住することには賛成だったようです。

移住の候補先の中で沖縄にターゲットを絞った理由は、ヤンバルの海も山もある環境に魅力を感じたからそう。28歳ごろから移住を考えていて、30歳ごろには奥さんと二人で本島で住めるところを探し始ることになりました。最終的に移住の決め手になったのは、昔からの知り合いで沖縄出身の人がいて、自分の土地の空いている家に住まないかと提案してくれたからでした。
しかしオッパ岳の麓にあったその家はなんと水道が通っていない家。移住早々に仕事探しと次の家探しが始まりました。その後のお話を相原さんに伺いました。
仕事探しと家探し、びっくりしたことがあるということですが

住むところを先に決めてしまったのですが、来てわかったのはこちらに仕事が全然ないということです。たまたま東村の慶佐次でガイド募集がかかっていたのでそこに参加しましたが、正直お給料は厳しかったです。で3ヵ月位経ったころに、今の勤め先である今帰仁観光協会の事務員募集が出たんです。前の事務担当の方が辞められたタイミングだったらしく、応募したところ採用してもらえました。やはり最初の手取りはかなり少なかったですが(笑)。業務は修学旅行誘致担当で、旅行社さんへの営業や学校との連絡、また民泊先の民家さんの調整などをおこなっています。
業務では受入家庭を増やさないといけないのですが、そもそも移住して少ししか経っていない人間がその仕事をやっていいのかというのは悩みました。都会から来たセールスマンが変な商品を売りに来たと思われないためにも、まずは地域の清掃活動等に積極的に参加して地域に溶けこむことからスタートしました。
家探しの方は、たまたま修学旅行の先生を案内している時に、この家の前に不動産屋の車が止まっていて、仕事を中断して交渉したんです(笑)。前の持ち主は別荘として使っていたということで、沖縄独特の作りつけの仏壇もなく、使いやすい物件だったと思います。これはとてもラッキーでした。
地域との関わり方で感じたことやアドバイスはありますか?
実はカフェかゲストハウスをやりたいという思いが今もあるのですが、来て直ぐに店を始めると仕事にかまけて地域に関われなくなります。そうすると自分が思い描いていた生活にならないと思っていたので、まずは地域に受け入れてもらうことから始めようと思いました。地域のルールを教えてもらおうという姿勢で入っていきました。思うんですが、来てくださいと言われて来たのではなく、勝手に来た以上積極的にローカルに溶け込むことが必要なんじゃないかと。

移住者の中でも、地域に対して「あれが足りない」というダメ出しの姿勢の人もいるのは事実です。この地域もよく防災無線などが流れるのですが、それをうるさいという移住者もいます。でもそれは地域のルールだし必要性もあるから、きちんと理解する、受け入れることが大事です。そしてそうやって自分から地域に飛び込んでいけば、沖縄の人ほど親切な人はいないと思います。特に子供が生まれてから、よりそれを感じますね。
地元の人の「地域を良くしたい」という思いも聞くし、外から来た人が「こうしたらいいのではないか」ということも良く聞くんですが、私は地域の人のサポーターでありたいと思っています。折角来たからには地域に貢献をしたいというマインドでいて欲しいです。私は、そういう気持ちがあったほうが楽しい生活が送れると思っています。
■移住してから出来た沖縄の知人
親しくしている人は20~30人位、民泊家庭や消防団、教育関係の方とかですかね。それ以外にもお仕事で知り合った方たちを考えると100人以上はいますね。
■移住の満足度
100点ですね。元々やりたかった宿業は出来ていませんが、お付き合いさせていただいている人たちの良も含めて。